使える人材は明治や立教に多い? [雑記]
昭和31年 「こどものいた街」 井上孝冶 より流用
「使える人材は明治や立教に多い」と
「野原でのびのび遊んでいた子供達の写真」とどう関係があるのかって?
その答えは、教育コンサルタント「松永暢史さん」のコラムにあります。
これだけ政治がデタラメなのになぜ若者たちは怒りの声を上げないのだろう。
ケータイいじって草食系のままでいいの? カリスマ家庭教師として知られ、
子育て本のベストセラーを連発している松永暢史さんは「幼い頃に遊んでないからこうなる」という。
松永 その通り。14歳ぐらいまでは極端に言えば、
「本を読むこと」と「作文」「計算(特に暗算)」だけをやればいい。
この時期に、勉強よりも大事なのは、外へ出て他の子供たちと群れ、
擦(こす)れあい、思う存分、体を動かして「遊ぶこと」です。
その中で子供たちはいろんな経験をする。例えば、けがをしたり、いたずらをして大人に怒られたり、
友達とけんかしたり、失恋することもあるでしょう。こうした経験をどんどん積み重ねてゆくうちに
「判断力」「想像力」が身につき、コミュニケーション能力も磨かれていくのです。
こういう子供たちが14歳ぐらいから本格的に勉強を始めるとグングン伸びます。
「外で友達と遊ぶ」なんて昔は当たり前のことでしたが
松永 都会では子供たちが自由に遊べる場所がどんどん減っています。しかも幼いころから塾通いや習い事のスケジュールがビッシリで友達と遊ぶ時間が合わせづらい。
「遊び」と言えば部屋の中でビデオゲームをしたり、ネットで遊んでばかり…。
こんな“ニセものの体験”をいくら積んでも役に立たないどころか、害悪の方が大きい。
“ネット漬け、ゲーム漬け”の子供たちはコミュニケーション能力が低く、
他人を思いやる気持ちに欠ける。大人になっても、恋愛が苦手で結婚もできないケースが多いのです。
でも今は、幼いころから塾通いでもしなければ、厳しい受験戦争を勝ち抜けないのでは?
松永 勉強というのは“やらされる”ものではなく、「主体的」にやるものです。
いろんなことを「知りたい」という好奇心が広がり、自分で参考書を開いて知識を深めてゆくのが本来の学問でしょう。
読書を勧めるのも、一方的に(情報を)受け取るだけのテレビなどとは違って読書が「主体的」な勉強の始まりだからです。
幼い頃から“塾通いをさせられている”子供たちの多くにはその「主体性」がありません。
だから時間をかけている割には成果が上がらないし、目標の学校に入った途端に“燃え尽きてしまう”ケースもあります。
夏休みに幼い子を朝から晩まで塾へ行かせる時間があるのなら、キャンプへ行って自然に触れたり、
昆虫を追っかけていたほうが、よほど好奇心を育てたり、主体性を獲得するのに役立つでしょうね。
だが、“ブランド大学”に入り、一流企業や官庁に入れば世間からは「勝ち組」とみられるのでは?
松永 福島第1原発事故への対応を見てください。菅直人首相をはじめ、
政治家、官僚、東京電力…と世間が言う「勝ち組」のキャリアを持っている人ばかりですが、
彼らに何ができましたか、事態を打開するビジョンやアイデアもなかったでしょう?
“ブランド大学”なんて、もはや虚像にすぎません。一流企業に入社してもそこが潰れたらどうするのです。
そんなときに、自分の力で事態を打開できるような判断力やアイデアを持っている人間が「使える人材」です。
私見ですが、そうした人材は現在、明治や立教クラスの大学を出た人に多い。
聞いてみると、やっぱり、幼い頃から思う存分「外で遊んでいる」んですね、これが。
【プロフィル】松永暢史(まつなが・のぶふみ) 昭和32(1957)年、東京都生まれ。54歳。
慶応大学文学部卒。家庭教師のプロとして30年以上の実績を持ち、
現在は「ブイネット教育相談事務所」を主宰。子育てについて書いた「母親・父親本」シリーズは
総計約50万部のベストセラーになっている。新著は『頭のいい子を育てる母親は、ここが違う!』(ワニブックス)。
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