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写真家・坂田栄一郎 「仕事力」 [雑記]

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雑誌「AERA」の表紙写真で有名な、カメラマン「坂田栄一郎」さん。
坂田さんとは、私が広告代理店で働いていた頃、
なんどか仕事でご一緒させていただいたことがある。
撮影に臨んだときの、人間が大好きで、好奇心に充ち溢れた、
悪戯っ子のようなクリクリとした、坂田さんの「眼差し」が忘れられない

新聞に掲載されていた、「坂田栄一郎が語る仕事」
長文ですがご紹介します。素敵な話です。

*ニューヨークで何かできるはずだ

世界的なカメラマンであるリチャード・アベドンのアシスタントとして、
日本での撮影に同行した僕が最も驚いたのは、彼のその観察眼でした。
実に鋭く見る、そして感じている。
撮影を終えて日本を離れる時、僕は彼の作品に感動したことを伝え、
「あなたの下で、働かせて欲しい。全身全霊を捧げる」
と願い出て見送りました。

しばらくは何の音沙汰もなく、アベドンほどの写真家なら
向こうにいくらでも助手の希望者がいるだろうと思い始めていたのですが、
半年後に「すぐに来るように」と手紙が届きました。
それは本当にうれしかった。でも渡米する資金などありません。
そこでまた、学生時代から「君はアメリカで勉強しろ」と
応援してくれていたディスプレー会社の社長さんが、
ニューヨークまでの片道切符を買ってくださったんです。
当面の生活費にと200ドルを貸してもらいました。
1966年、僕は25歳でした。

マンハッタンにあるアベドンのスタジオで僕を待っていた仕事は、
彼が撮りためていた何十万枚もある
膨大なネガのプリント見本を暗室で作ること。
朝9時から夜6時まで、ただひたすら同じ作業を1年間やり続けました。
全身全霊を捧げる決意だったから、黙々とやりましたよ(笑)。
2年目にカラー現像を任されるようになり、
同時に撮影助手としてスタジオで仕事ができるようになった。
地味な仕事を誠実にやることが、信頼の始まりなのだと思いましたね。

スタジオには、アンディ・ウォーホルやトル―マン・カポーティなど、
ありとあらゆる有名人が出入りし、そういう大人との出会いが
「人間」を教えてくれました。
場の力は非常に大きいものです。

*堂々と生きる人々に僕はシャッターを向けた

暗室にこもっていた最初の年、さすがに後半になってくると
外に出て写真を撮りたくなるんですね。でも仕事は一日びっしりある。
お金はほとんどない。それで、夜になるとポケットになけなしの
数ドルをねじ込んでカメラをぶら下げ、
タイムズスクエアへなんども出かけて行きました。

ニューヨークには、本当に多種多様な人種がいる。
それぞれが個性的なファッションで決めて、街に出てきています。
僕は「Just wait !」と声をかけて写真を撮らせてもらう。
彼らは実にたくましく生きていて、
街角に立っている娼婦でも物おじせず堂々とカメラの前に立つのです。

僕はその度に魂をゆさぶられるようでした。
貧富の差も、人種も、職業も関係なく、人間としての誇りが伝わってくる。
日本から一人でやってきて、お金も自由もない自分にもそれが乗り移ります。
魅了された僕は4年間も撮り続けました。
ニューヨークを訪れた写真家の篠山紀信さんが、
その作品にとても感動してくれて、
日本での個展が実現し、僕の仕事はそこからまた大きく動き始めました。

自分の直感は信じていいんです。
いや、直感こそ磨かねばいけない力なのだと思う。
惹かれるものには素直になることが、仕事の原点でしょうね。


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